好みの服を見つけたので購入しようかと思いましたが色がグレーだったため、汗かきなので断念したNerunです
今日はグレーな話を記録したいと思います
ここ数か月ほど就活していて自己分析として過去のことを思い出す機会がありました
過去のことを思い出すだけでなく、その時の自分の感情や周りの人の行動の意図など当時の自分には考えられなかったことまで考えていました
そこで印象に残ったエピソードがありました
母と私に関するエピソードです
今はいたって普通の親子関係(むしろ周囲よりも友達親子に近いかもしれない)なので特に問題ないことだけを先に記しておきます
私の母は教育関係の仕事をずっとしています
それも高校生の時に国家資格を取るなどかなり勤勉だったそうです
特に年齢の低いほうの教育関係だったので私が保育園の年少くらいから小学校低学年くらいになるまでは(当時の私が思うに)厳しく育てられていた気がします
そのころの学校行事は土日であっても仕事とかぶっており、周囲は母親が参加している家庭が多い行事でも
「次の行事お父さんに来てもらう?おばあちゃんに来てもらう?」
と聞かれていた気がします
ちなみに運動会などの親子競技では父、何か一緒に作ろう的な行事だと祖母を選んでいました
(我ながらそれぞれの得意分野を見極めた賢明な判断だと思います)
それでも私はそんな母を誇りに思っていたし、自分もこういう職業に就くのもいいなと思っていました
自分で言うのもなんですが、小さいころは割と器用な方でそれなりに頭も回っていたような気がします
ただ、やや注意散漫なところがあり、こだわりも強かったので、好きなことには熱中できますが、苦手なことや興味のないことを後回しにして考えないようにするような子どもでした
例えば、某通信教育を保育園くらいからやっていたんですが、小学生になると、月一で届くなり興味のある部分だけ問題を解いて、興味のない部分はいつまで経っても解かないなんてことがしょっちゅうありました
しかも壊滅的に片付けや整理が苦手でした
自分で片づけたはずなのに片づけた場所にない、なんてことはよくありました
あるとき塾にお試しで通うことになったのですが、塾の宿題を次の週までに行うことがとても困難でした
スケジュール管理がうまくいかないというのもそうですが、今思うと次の授業の曜日を認識してはいますがそれが何日後なのかがいつまでもわかっていませんでした
なので気が付くと塾に行く日になっているのです
そんなことを繰り返していると塾の宿題と学校の宿題のどちらもうまくスケジュールを組めなくなってしまい、塾はいかなくなりました
(行かなくなってからは学校の宿題は普通にできるようになりました)
学校でもらったプリントがランドセルの下でぐちゃぐちゃになっているなんて当たり前だし、給食で残したパンが学校の机の奥でかびていたこともありました
机の中のケースは常にぐちゃぐちゃで何が足りないのか全く把握できていませんでした
なので急に色鉛筆が無かったり、のりが無くなっていたりして授業中に困るのです
今思うと私は”グレー”な子どもだったのかもしれません
でも勉強やスポーツ、人間関係などは人並みにできるので気づかれることはない
だけど母は仕事柄人よりもその分野に知識があるので、私にその気があるのか薄々疑っていたような気がします
しかし、グレーではなくただ片付けのできない注意散漫な子どもかもしれない
おそらく母は私がグレーなのかどうなのか葛藤していました
先ほども言いましたが私は片付けができませんでした
周りが散らかっていることが見えているはずなのに散らかったままでした
そんな私に母はよく
「どうして片付けができないの?片付けのやり方が分からないの?それともやらないだけなの?」
と聞いてきました
そう言われると私は周りが散らかっていることを認識し、
「やっていないだけ」
と答え、渋々片づける
と、こういうことを日常的に繰り返していました
しかし、母も我慢の限界が来たのか、
「世の中には片づけられない病気の人もいるから一度病院に行こう(表現が悪いですが実際に言われた言葉です)」
と私に言いました
私はとてもショックで
「私は片づけられないんじゃなくて片づけていないだけだから病院に行きたくない」
と泣きながら答えた記憶があります
結局その後も散らかしては指摘されを繰り返しています
この頃から少し母は自身を追い込んでいた気がします
私が片付けができなかったりこだわりが強かったりするのは自分のしつけが悪かったのではないかと
そしてこの関連のエピソードで一番衝撃的だったことがあります
はっきりと覚えていないのですが、いつものように私が片付けをできていなかったのか、学校でもらったプリントを出さなかったのか、通信教育のテストをため込んでいたのか、おそらく何かで私は母にすごく怒られていました
ひとしきり私に怒った後泣きじゃくる私に、母はフッと真顔になり、ぼそっとつぶやきました
「あーあ、子育て失敗した」
たったこれだけの言葉でしたが私は今でもこれを言った時の母の顔が忘れられません
私の行動がお母さんを失望させてしまった、私のせいでお母さんがこんな顔をしてしまった
怒られるのはとても嫌だけどこの時だけは怒られた方がましだと思いました
そのときから私は私なりに自分の欠点を補うように努力するようにしました
例えばプリントは必ずファイルに入れる
当たり前のことかもしれませんが、私にとっては逐一意識しないとできないことでした
ファイルに入れることでプリントを出すことは忘れてもぐちゃぐちゃになることだけは防ぐことができました
片付けも相変わらずできないままでしたが、できるだけ汚くならないようにしました
強いこだわりのあるものは譲れなくても、優先度の低いものは譲るようにし、周りにもより目を向けるようにしたりと自分でできることはやりました
母の葛藤は時間が解決したのか、母なりに何か答えが出たようで、私が小学校高学年になるころには人に迷惑がかかったりするようなことや人としてできた方がいいことの指摘など以外は私の個性として認めてくれるようになりました
その後は特に何も起こらず、初めに書いたように友達のような親子として割と良好な関係を気づけていると子どもは思っています
余談ですが、大学生になって自覚したのですが、小銭をうまく払うことがとても苦手でした
思えば高校生の時からレジで小銭をうまく払うことができず、いつも財布がパンパンになっていました
それを高校の自販機に入れるだけ入れて飲み物を買い、お釣りで何とか小銭を減らせないかとしていたことを思い出しました
その話を母にしたところ、
「なに?今頃気づいたの?小さいころからそうだったよ」
と笑いながら言われました
「よかったね、キャッシュレス決済とかで小銭使うこと減るから」
とも言ってくれました
今になっても私がグレーなのかそうではないのかわかりませんが、私も母もこれを個性だと思って過ごしているのでこれからも判断されることはないと思います
ただ、グレー”かもしれない”個性で良かった点もあります
それは好きなことに対してものすごく没頭できることです
例えば中学2年生までは数学が全くできませんでしたが、証明の単元が面白すぎて数学が得意になり、高校入試は数学で戦えるようにまでなりましたし、今では工学系の院生にまでなりました
今は院生として毎日研究活動をしていますが、自分が興味を持って取り組んでいることなので全く苦痛ではありません
しかも成長と共に興味のないことでも割り切ってできるようになったので向かうところ敵なし
母にとって私は一度は子育てを失敗したと思った子かもしれませんが、私はこんな風に育ててくれてありがとうという気持ちでいっぱいです
いつかこの話を母にすることがあるのかないのかはわかりませんが、今の私はとても母に感謝しています
とりあえず明日から帰省するので手土産に私が見つけたおすすめのキムチ屋さんの漬けたてキムチを渡そうと思います